4月25日

事故から5年が経った
ちょうど十日前の4月15日、事故現場で立哨した。事故後、献花台が設置されて以降、献花にこられる方のお世話と、お焼香の火の管理等現場の保存・監視、社員の教育、主にこの3つの目的で社員が事故現場に立哨するようになった。最初こそ管理職しか立哨することは無かったが、このごろは自分のような立場でも機会をもらえるようになった。
入社すると、最初の研修でこの場所を訪れるのだが、集団行動の中でほんの少しの時間しか事故現場と向き合うことは無かった。今回、半日の間、立哨を通して事故と向き合った。上司と2人きりで直立していると、ご遺族様と思われる方がこられた。この場にいる社員は自分と上司だけだ。そんな時、何を思ったかというと、何を言われるんだろうか、という不安だ。怖いという感覚に近い。献花にこられた方に対しては終始頭を下げているので、表情を伺うことは無いのだが、涙をこらえられている、そんな音を耳にすると、やりきれない気持ちになる。
たった数秒を取り戻そうとして、速度超過でR300のカーブに突入し、脱線した。たった数秒のために。その当時、アーバンのダイヤがどうなっていたかは知らないし、運転士でない自分が、アーバンのダイヤを自分の責任で乱してしまうというプレッシャーを完全に理解することはできないが、ただ、列車を遅らせないことと、人の命と、どちらが優先されるべきことなのか、ということくらいは分かる。